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患者さんストーリー

足の痛みが消えて20歳若返った気分。牛の世話も野菜づくりも毎日が楽しいです。

この記事の患者さん

ひざ関節

渡辺 成甲さん

渡辺 成甲さん
高知県在住 
85歳(手術を受けた年齢)

病名 変形性膝関節症(両足)

治療法 人工膝関節置換術

この記事の目次

02 リハビリについて

3kmの山道を駈け下りてリハビリに!?
自宅からログハウスや牛舎への移動には通常、電動車椅子を使うが、1時間ほどかけて歩くことも。今では急勾配の坂道も大きな歩幅で力強く!

自宅からログハウスや牛舎への移動には通常、電動車椅子を使うが、1時間ほどかけて歩くことも。今では急勾配の坂道も大きな歩幅で力強く!

成甲さん 1回目の手術は平成20年11月、左のひざです。手術を怖いとは思いませんでした。麻酔ですぐに眠くなりますし、気づいたら全部終わったあと。痛み止めが覚めてくるとさすがに痛かったですが、人からは、リハビリをするとよくなると聞いておりましたから、わたしもがんばりました。いま思うと、手術した先生もすばらしかったけれども、リハビリの先生も「凄腕」というか、熟練した人でした。週に1回、40分くらいですか。湿布をして温めたり、足を伸ばしたり、筋肉をつけるような運動もする。駅までは息子に送り迎えしてもらって、汽車とバスを乗り継いで杖をつきながら通いました。左ひざの手術から4カ月後に、反対側の右ひざの手術も控えていたのですが、その頃には先に手術をした左ひざはだいぶよくなっておりましたね。だから右ひざの手術は、「こんなによくなるんだったら、次も早く!」と勇んで臨みました。

智子さん もともと仕事をすること自体がリハビリのようなものですけど、ペットボトルに砂を入れて持ち上げるようなことも、意欲的にやっていましたね。自分がこうと決めたことには、熱心なんです。

薪わり

成甲さん 足がよくなっていちばんうれしいのは、また以前のように仕事ができるようになったことです。父が残したこの土地を守っていこうという思いで仕事をしてきて、それがまたできる。足が痛かった頃は、仕事がしたいのにできないことがいちばんつらかった。足が治って思うように動けることが、どれほどわたくしに影響を与えたか。考え方というか人生観が変わりました。脳に闘志が湧いてきた。20歳くらい若くなった気がしますね。

智子さん リハビリで病院に行くとき、いつもは電動車椅子に乗って山を下りて、最寄り駅から汽車に乗るんです。3km弱の道のりです。それをこの間は、電動車椅子の調子が悪いからといって、走ったそうなんですよ。

成甲さん まあ、急ぎ足ですね。自分では一生懸命走っているつもりでも、前に進まない。でも汽車には間に合った(笑)。いつもは、つまずかないように気をつけております。一度、急いで回れ右をしたときに、足をひっかけて転びましてね。しばらく足をもんでいたら痛みが治まったので気にしていなかったのですが、病院の先生に話したら、すぐにレントゲン。そうしたら、自分の骨が欠けたカケラが写っていたんです。それ以来、絶対に慌てないようにしています。火事があっても慌てない(笑)。慌てたら必ず転んだり失敗します。汽車に乗るときも、階段の上り下りも、手すりがあれば必ず持つ。坂道も下りは特に気をつけています。上りなら転んでも手をつけますが、下りは落ちてしまう。崖などはよほど気をつけなくてはならない。踏み誤ると転落に至りますから、危ないところには近寄らない。それから、しゃがんで仕事をしているとき、スッと立ち上がるとよろめくので、ゆっくり立つように気をつけています。

取材を行ったログハウス「LEBEN」(レーベン)は、24年前に間伐材を利用して建てられました。建てたのは大工さんですが、成甲さんが木の皮を剥いだりしたそうです。平成18年からはWWOOF(ウーフ)というFarm Stay(ファームステイ)の外国人受け入れ団体に登録。牛の乳搾りやチーズ作り、畑の手伝いができる体験民宿として人気を集めています。この日はフランスからレノさんという青年が滞在中。一緒に薪割りをしたり、石釜でピザやパンを焼いて食べたり、牛の世話をしたりと楽しく過ごされていました。

ログハウス・牛の世話

03 手術後の生活について

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