患者さんストーリー
ひざ関節
青木 民子さん
岐阜県在住
60歳(手術を受けた年齢) パート勤務
病名 変形性膝関節症(両足)
治療法 人工膝関節置換術
家事のかたわらパート勤務をこなし、お友だちや娘さんとの時間も楽しんでいる青木さん。かつて車いすが必要だったことなど想像できません。「両ひざの人工関節手術を受けて本当によかった」と語る青木民子さんと、手術を家族の立場からサポートした長女・美紀さんにお話を伺いました。
娘さんの美紀さんと
民子さん(ご本人) 40代後半の頃はソフトバレーをやっていて、走ったり飛び上がったりすることも平気でした。ところが、50代に入った頃、最初は左ひざに痛みが出たのです。整形外科を受診したところ、「加齢のため、ひざの軟骨がすり減ったことによる変形性膝関節症」と診断されました。痛み止めの薬をもらって、それで何とかしのいでいたのですが、少しずつ悪くなり、ソフトバレーどころか正座もできなくなってしまいました。
たとえば、喫茶店で友だちと話をしていて「さあ、帰ろうか」と立ち上がろうとしても、私だけはすぐ動くことができません。友だちを待たせるのも気が引けて、先に出てもらい、あとから一人でゆっくりゆっくり歩いていく、そんな具合でしたね。
美紀さん(娘さん) はたから見ていても症状は悪くなる一方で、いろいろな病院で診てもらいました。けれども、どこに行っても言われるのは、「加齢のため」でした。とはいっても、母は当時まだ50代。同世代の元気なみなさんがふつうに歩いているのを見ると、「何とかしてあげたい」といつも気にかけていました。
美紀さん 母と一緒に年に1回は旅行をしていたのですが、ここ数年は旅先でも長時間の歩行は難しくなってきました。空港内を歩くにしても、後から歩いてきた人たちにどんどん追い抜かれていく、といった状況でした。当然、旅のスタイルも、現地でレンタカーを借りるなど、母をあまり歩かせないプランに変えていきました。
民子さん ひざが痛くて、どこに行くにも歩くのが辛かったですね。2005年の愛知万博に行ったときからは、長時間の歩行時は車いすを使うように。昨年のゴールデンウイークには還暦のお祝いに娘とふたりでハワイ旅行をしたのですが、そのときも車いすが必要でした。
美紀さん 日常生活でも、パートから戻ってきたときなどはひどかったですね。「痛い、痛い」と言いながら帰ってきて、翌朝は起き上がれません。「もう仕事はやめたら」と何度言ったことか……。
民子さん でも、職場では同僚たちが待っているし、行くのが楽しみでもあったので、少し無理してでも仕事は続けたかったんです。
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