患者さんストーリー
ひざ関節
笹本 春江さん (仮名)
東京都在住
83歳、専業主婦
病名 変形性膝関節症(両足)
治療法 人工膝関節単顆置換術(両足)
家の中の階段も手を使って這い上がるしかない状態でした。
膝が痛くなり始めたのは50歳になった頃からです。転んだとか、ぶつけたというようなことは特別ありません。最初は我慢できる痛みでしたが、70歳になると激しく痛むようになりました。それに、O脚がひどくて歩くたびに体が左右にゆれるんです。前屈みにもなっていたし、外に出るのが恥ずかしくて嫌でした。痛いときには家で動くのもつらくて。かかりつけの病院で膝にたまった水をとったり、貼り薬を使ったり、3年間リハビリに通ったりもしました。家中に手すりもつけました。膝がひどく悪化してからは杖と手すりが手放せなくなって、家の中の階段も手を使って這い上がるしかない状態でした。
「良い先生がいるんだな」と印象に残ったのを覚えています。
主人が入院していた病院で、待合室の院内テレビを見ていて知りました。整形外科の先生の紹介ビデオが流れていて、「良い先生がいるんだな」と印象に残ったのを覚えています。でも、どうやったらその先生に診てもらえるのかわからないし、主人の看病もあったので、受診はしませんでした。私自身、他の病気で手術をしたことがあるので手術に対して怖いという気持ちはなかったです。いつか私の膝も手術できればいいなと思っていました。
手術への恐怖心は無くて、ただ楽になりたい一心でした。
主人を見舞った帰り、バス停に向かって土手の階段をあがっていたら病院の人に声をかけられました。土手をあがる私のうしろ姿が、ひどかったんでしょうね。ひどいO脚で、歩くのもやっとだったから。声をかけてくれたのは、整形外科の方で、その人から治療を薦められました。声をかけられてから手術を決心するまで、あまり悩まなかったです。1週間で決心して、自分で病院に電話しました。手術への恐怖心は無くて、ただ楽になりたい一心でした。
土手での出会いは、天国の父が引き合わせてくれたんだと思っています。父の入院している病院までバスで40分ほどかかるのですが、母は自分の膝の痛みを我慢して、父の介護に通っていました。母が声をかけられたのは、ちょうど父の亡くなる前日でした。その日は、いつもよりも病院を出る時間が遅くなって、たまたま病院のスタッフの方と帰る時間が一緒になったんです。そんな偶然があるんだと、母の話を聞いて驚きました。私たちが手術を勧めても母は手術を受けなかったかもしれませんし、本当にその運命的な出会いがあったから、母は手術に踏み切れたと思っています。(娘さん)
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