コラム15 東日本大震災 ~その時、被災地の医療現場では何が起こっていたのか~
あの日。2011年3月11日、午後2時46分。強烈な揺れが、いつになく長く続いた。そして、その後に襲った未曽有の大津波。東日本大震災は、東北と関東の広大な地域に壊滅的な被害をもたらした。その後、人工膝関節置換術を受けていたおかげで助かったという一人の患者さんの言葉が、本間記念東北整形外科・東北歯科 杉田健彦副院長を患者アンケート調査に駆り立てた。当時の模様やアンケート結果からみえてきた反省と課題について、杉田先生に教えていただきました。
患者アンケートで教えられたこと 整形外科医として、今後の課題
入院患者の食事の確保に買い出しに奔走
その時、前十字靱帯再建術の真っ最中。再建するための腱を採って、骨に穴をあけ、「さて」というところを襲われた。とにかくひどい揺れだったので、まず患者さんがベッドから落ちないように押さえた。手術を続行するかもしれないので最初は清潔にこだわって一瞬ためらったものの、無影灯も片手で押さえ、早く収まってくれと祈った。
不幸中の幸いで、手術は途中で止めてもいい場面。停電で自家発電量に余裕がなく、手術はそこで創を閉じて終わらせた。今回のことを教訓として、当院では自家発電量を大幅に増やした。
揺れがおさまってから後ろを振り向くと、造りつけの戸棚からガラス戸が外れて中身が飛びだし壊れていた。その時はとにかく夢中だったのでパニックにはならなかったが、後になってじわじわと怖くなった。
ライフラインの復旧までに、電気は2日、水道が7日、ガスが31日かかった。その間、最も困ったのが寒さと、入院患者・帰宅の足が確保できなくなった見舞客・スタッフ約40名の食事。寒さはコートを着、マフラーを巻いて手袋をはめ、靴下の重ね履きで凌いだ。食事はパンやバナナ程度のこともあったが、スーパーの開店情報を集めて事務・看護師などスタッフが買い出しのために何時間も並び、一度も欠食なし。ありがたいことに、あの日の午前中に人工膝関節置換術をした患者さんが蔵王の農家の方で、家人が米や新鮮野菜を運んでくれて大いに助かった。
外来の再開は、夕方4時までの制限付きで3月21日から、通常診療は26日から。手術を再開できたのは、設備の安全点検を待って29日であった。
人工膝関節置換術を決意させた"痛かった"避難
診療再開後、かつて人工膝関節置換術を施した女性から、たまたま震災時の話を聞く機会を得た。83歳のその女性は、仙台三越で買い物をしていて地震に遭い、交通機関が不通になったため3時間歩いて帰宅。「全然痛みがなく歩けて、ほんとによかったです」。それを聞いて、ほかの人たちはどうだったのか調べてみることに意味があるのではと思い、7月にアンケートを実施。
2005年11月から2011年1月までに人工膝関節置換術を受けた236人にアンケート用紙を郵送。そのうち返信があったのは180名、配達不能、死亡等が5名で返信率78%。うち、沿岸部居住者は23名だった。
「被災後、どこで生活していたか?」という設問には、1~2日といった一時的なものも含めて、避難所15例、親戚や実家など自宅以外16例、車3例。7月の時点で仮設住宅住まいが7例。
先の3時間を上回る8時間歩いたという71歳の女性もいる。この人は、東京の娘のところに遊びに行っていて、8時間歩いて帰るはめになったらしい。
「手術してよかったと思うこと・不便だったこと」について、「よかった」ほうでは、「駐車場の車まで急ぎ足で歩けて助かった」「痛みがなく2階に上がれたため、津波から逃げることができた」「手術してなかったら、たぶん自分は今いないでしょう」など、命からがら逃げたという切羽詰まった声が多かった。
被災後は、スーパーでの買い物に2、3時間並んだり、給水所まで歩いていってバケツで水を運んだり、後片付けをしたり……、必要に迫られて否応なくやらざるを得ないとはいえ、それが「痛みなくできてよかった」と。
困ったことの筆頭は、避難所生活での「和式トイレ」。続いて、床からの立ち上がり。床から立ち上がるときに一回、立ち膝できればいいのだが、そういう指導がされていないので怖くてやっちゃいけないものだと思っている。今後は、リハビリメニューに加えなければと教えられた。
震災時に困った経験から、新たに人工膝関節置換術を希望する患者さんも現れた。沿岸部に住んでいて今回はなんとか家の裏山へ避難できたが、膝が痛くて逃げるのに苦労した。だから、意を決して手術を受けることにしたと。痛みを我慢するくらいなら手術をするという人もいれば、手術は絶対にイヤ、痛みを騙し騙し、なんとかしてくれと注射でしのぐ人もいる。その人次第ではあるが、「老後の自立」という点でも、今回のような危機に際し「災害時の自立」という点でも、人工関節が有用であることを再認識することとなった。そのことを患者さんの選択肢として情報提供することの重要性を説いていきたいと思っている。
患者アンケート結果より抜粋
良かった点
震災時の緊迫した状況で
- 津波がくる直前に2階に逃げることができた。
- 入院中だったが、4階の病室から1階まで痛みなく階段で避難できた。
- 速く動けたので家具の下敷きにならずにすんだ。
- 駐車場まで速く歩くことができ、車で避難できた。
- 交通機関が停止した時、数時間歩くことができた。
震災後の生活で
- 痛みなく、日用品や食料の買い出しに長時間並ぶことができた。
- 痛みなく、給水所に並んだり水を運ぶことができた。
- 以前より速く歩けると思うと、余震に対しても安心していられた。
不便を感じた点
- 避難所で床からの立ち上がりに苦労した。
- 洋式トイレが少なく、和式トイレで困った。
- 立ち膝ができないので、片付けが困った。
- スーパーに並んでいて、脚が重くなった。
避難所生活における設備は、人工関節置換術を受けた人にとってはもちろんだが、足腰の弱った高齢者にとっても、ベッド、椅子、洋式トイレが望ましい。精神的苦痛を強いられる分、せめて野戦用折り畳みベッドのような簡易なものでもいいから、環境改善を考慮してもらいたい。衛生面でも、床に敷きっぱなしのマットや毛布がカビだらけという事態も避けられる。(杉田先生)